PROFILE

自己紹介

ishikawaと申します。isLogというブログをメインでやっていますが、より自己表現を強めたものがやりたくなり、このブログを立ち上げました。幼い頃から単純に「考える」ことが多く、内に伝えてみたいこともたくさんあったのですが、それをうまく伝える手段がわからずこれまでは絵を描いたりして自己表現をしてきました。絵などとは違い、文章は誰にでもわかりやすく伝わってしまうものであるためこれまでは怖さもあり避けていましたが、冒頭に述べた通り、生きている姿を晒そうと思い、ブログを始めるに至りました。その行為の中で、内でも外でも何かが生まれたらいいなと考えています。 —– I say ishikawa. I was born on June 7, 1982. A blog as isLog was being done mainly, but I felt like doing the one which came near and strengthened own expression, and this blog was started. I’m working by a title as a web director, but it’s study full of the facts which aren’t still understood every day. It’s authored and programed, designing, saying a director, and it’s wide and open. There were also many cases that I’d like “often think” and inform inside simply from small time, I didn’t know the means to tell that well, and a picture was being drawn and own expression was being done up to now. It was different from a picture and there was also fearfulness up to now because the sentences were easy to understand for everyone and transmitted, and it was avoided, I think I’ll dry the living form as I told the beginning, a blog, I begin, I came. I’m thinking something should also be born at outside at inside in the act. —–

これまでの経緯

幼少期

幼少期は千葉の松戸市で育ちました。 幼少期から小学校にかけては取り柄の無い暗くもなく取り分け明るくも無い普通の子供でした。とにかく自然や生き物が好きでした。宿題は全くせず毎日ザリガニを釣っておりました。 成績はてんで駄目ないわゆる劣等生でしたが、楽しく毎日を過ごしていました。 そんなある日、突然父親が家からいなくなり(中学生になってから母が話してくれましたが、ギャンブルに溺れて借金ためてやっさんに追いかけられていたらしい)、両親が別れ、母方の祖父母のいる東京へと出てくることになります。 小学校三年生の時でした。 友人と別れる淋しさは当然ありましたが祖父母と一緒に住める嬉しさは覚えています。

小学校3年生〜小学校6年生

母と僕は祖父母の住む家に同居することになりました。 東京に来てまず驚いたのは、自然が少ない事・友人がすぐゲーム(屋内)で遊ぼうとすることでした。 僕は自然を求め、近くの荒川河川敷に毎日のように通いましたが、友人の中には危ないからと親に止められているという子もいました。 東京に越してからの小学校では度々いじめに遭いました。 暴力はあまりありませんでしたが、言葉によるいじめを度々受けていました。父親がいないことが皆の興味に火をつけ、標的になっていたようです。 毎日一緒に遊んでいる友人が、いじめ集団の前で態度をころっと変えたことを今でもはっきり覚えています。 当時は散々悩みましたが、今ではいじめを受けたことは良い経験になったと思っています。強く振舞う必要性も優しく振舞う大切さもこの時に感じることができ、その後生きていくにあたってその感覚は強く僕を支えてくれることになりました。

中学生時代

小学校でいじめられていた僕は、中学校ではその状態を挽回すべく目の前のことに打ち込みました。 バスケ部に入り上を目指しました。最終的にはキャプテンに任命されました。あれ程やらなかった勉強を、常に学年で10位以内に入るように頑張りました。 こうしている内に生徒会に任命されてしまったりと、いじめられっ子の立場からはすぐに解放されていました。

高校時代

中学校で勉強を頑張ったことで学区では割と良い高校に入学できました。ですが、高校ではほとんど勉強をしませんでした。劣等生に戻りました。 中学校で勉強を頑張った僕ですが、それは母親のためだったと気付いたからです。自分のやりたいことに打ち込んでみたい、単純にそう思いました。 部活に入った上で社会人バスケにも参加させてもらい毎日バスケをしたり、小学校からギターを爪弾いていたのですが、高校で音楽仲間に出会いお互いの家でセッションしたり… 平たく言えば毎日遊んでいました。 その頃の僕は完全に自分の殻に閉じこもっており、学校でも話す相手は音楽仲間や部活のメンツばかりで、授業中は音楽を聴いているか寝ていました。 気付けば3年生となり卒業後の進路に皆がざわつき始めます。 音楽を一緒にやっていた友人は音楽の専門学校に行くと早くから決めており、特に音楽でとも思えない僕は、完全に悩んでしまっていました。 適当に大学を決めようかとも思ったのですが、話に聞く大学のキャンパスライフ(サークルに入って、飲みに行って、バイトして…)に嫌悪感を抱いていました。 そんな僕はある日、「だったら日本じゃなくてもいいじゃん」とふと思い、家族にアメリカ留学を伝えました。 高校時代におじがNYへの出張に僕を連れていってくれたことがあり、それが良いきっかけになったのだと思います。 誰も自分のことを知らない場所に行きたい、という気持ちもありました。

留学時代

留学は、アメリカカリフォルニアの田舎の学校にしました。 場所は特に憧れている場所もなく、入りやすそうな学校にしました。 ここでは様々な経験をしました。 外で酒を飲んでいたら銃を構えた警察たちに囲まれたり、サッカーの試合をしていたら銃声がして近くの家から犯人が走ってきたり、日本がいかに安全かを痛感しました。 また、アメリカで出会った留学生達は、日本人も含め多くが場所に囚われない自由な気持ちを持っていました。 入学したのは2年制大学で、通常は皆4年制大学に編入するのですが、美術の授業で課題の絵を褒められたことがきっかけとなり(実は幼少期から絵を描くのが好きでした)、絵の勉強をするため、日本へ戻り専門学校へ行く決断をします。

専門学校時代

入学したのは絵画科でした。デッサンから油彩まで、毎日絵を描けることが楽しくて仕方ありませんでした。 ここでは僕にとって非常に重要な2人の人物に出会うことになります。 1人は現在まで続く親友、もう1人はのちに僕の妻となる人です。 また、アートという日本に根付かない分野に携わっている人たちとの交流は、多くの感覚を僕に与えてくれました。

ドイツ移住時代

専門学校卒業後、絵で何とか食えないかと、バイトをしながらしばらく模索していましたが、正直うまくいっていませんでした。 そんなある日、知人(その方はNYでアート活動をしたことのある社長さんでした)に、「なんで本場でやらんねん。日本でアートやったって意味ないやん。」と言われ、その言葉に非常に感銘を受けた僕は、その翌日には海外の行き先を探し始めていました。 海外でアート活動をしよう、と決めた僕は、専門で出会った親友にそのことを打ち明けました。そうするとなんと、親友も行くという話にその場でなり、とんとん拍子で2人でドイツ、ベルリンに行くことになったのです。 ドイツは、 ・ワーホリでいけるところ ・アートが活発で生活に馴染んでいるところ などの理由で選びました。 さて、ドイツ生活ですが僕の人生の中で、最もクリエイティブで刺激的で苦しくてかつ楽しい時間となりました。 この話は長くなると思いますので、別の機会で書きます。

ドイツから帰国〜現在まで

ドイツには1年いました。 その後、日本へ戻ってきてNYで展示をした後、ある理由からアート活動を終えました。 バイトをしばらく続けた後、今の会社に入社しました。 ドイツ生活時代にカメラマンをやっていた時のphotoshopの技術や、作品を売り込むために作成していたホームページの知識が役に立ちました。 そして今現在、ドイツに住んでいた時のように、クリエイティブで刺激的で苦しくとも底抜けに楽しい時間を過ごせるように、毎日、悩みながらも試行錯誤しつつ生きています。